コンクールの意義を考える

もう、いい加減更新をしろ、という声さえも聞かれなくなったこの頃です。暑い夏が過ぎ、季節は台風の秋。

起きている殆どの時間をピアノの練習とレッスンに明け暮れています。家から一歩も出ない日が何日も続いている時もあります。あと1ヶ月、リサイタルまで、欲しがりません、勝つまでは。

話は少し戻り、夏は今年もピティナコンクールに沢山の生徒が果敢にチャレンジし、笑ったり泣いたりの時を過ごしましたが、全員確実に上手になっており、何よりも一生懸命努力する姿勢が素晴らしかったです。

でも悲しい事にコンクールは1位でない限り、どこかで終わってしまい、努力すればするほどその事実が子供にも親にも重くのしかかる、この事が最近とくに気になってきています。幼い子供の頑張りに対し、これ程報われない事はありません。努力の末、悲しい思いをするなんて、そんな為にピアノを弾いているわけではありませんし、本当に小さな子供にとっては必要ない気がしてなりません。もっと大きな生徒にとってはそれも良い経験なのですが。

「コンクールなんて・・・」と思いながらも毎年希望者にはピティナを受けてもらうのは、コンクールで揉まれて沢山の上手な同じ年代の子供から刺激を受け、極限まで曲を磨き、考え、緊張し、自分の力を出し切って、生徒が普段のレッスンだけではなし得ないくらい成長するというプラス面もあるから。つまり、普段のレッスンでしっかりと緊張し、頑張れたらコンクールは必要ないのです。ああ、でもあの緊張感をスタジオで出す事は無理だな・・・と自分の指導力のなさを嘆いてしまいます。生徒たちには、コンクールは成長するカンフル剤のようなものだと常々言っています。他人に勝ちに行くのではなく、自分に勝つ。かつての自分より上手になっていたら勝ちだと思います。ピアノ演奏の審査なんて、ほぼ主観によるもので、審査員の好みで大きく左右されるものなので、結果に一喜一憂するより自分の成長の糧にしてほしいです。審査員の講評だって、一語ずつ内容を精査する人がいますが、自分もピティナの審査をしていていつも思いますが、第一印象を簡潔にまとめたもので、しかも大急ぎで書いたものなので、あまり深く考えずに参考程度に留めておくのが健康的な受け止め方だと思います。